コンピューターゲームの歴史は古く、最古だと考えられているものは1912年に生み出されています。そんなコンピューターゲームの歴史の1979年までをまとめてみました。
スペインで作成されたチェス機械「エル・アヘドレシスタ(スペイン語でチェス・プレイヤーという意)」(1912年)を作成。開発したのはスペインの開発者にして数学者のレオナルド・トーレス・ケベード。チェスボードの下にそなえた電磁石を利用して、3種類の駒で自動でエンドゲームを行う装置。
アメリカの発明家ラルフ・ベアが、オシロスコープ(入力した信号の電圧の変化を時間の関数として視覚的に表示する電気計器)を使い、ピンポンゲームの様なもので遊んでいたと語っている。
※ラルフ・ベアは、2006年に家庭用ゲーム機を発明しテレビゲーム業界を生み出したとしてアメリカ国家技術賞を受賞。
カナダ国立展示会(CNE)で高さ4メートルものコンピューターで、三目並べ(○×ゲーム)をプレイ可能な装置を展示。
株式会社セガ・エンタープライゼスに商号変更。前年にはアーケード事業に進出。この年からアミューズメント事業にも進出することになります。
アメリカの発明家ラルフ・ベアが、家庭用のテレビにゲーム映像を表示させるアイデアを思いつき、数種類の試作機が開発される。
数種類のゲームが遊べる「ブラウンボックス」を完成。テレビ事業大手各社にプレゼンしたが採用には至らず。
ラルフ・ベアの開発した家庭用試作機「ブラウンボックス」を電気機器メーカー、マグナボックス社が採用。数年の期間を経てついに世界初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」を発売。
本体付属ゲームは3種類(スピードウェイ / スピンナウト / 暗号解読)
1970年代初めからアーケードゲーム開発に取り組んでいたノーラン・ブッシュネルが、アタリ社を創業。「オデッセイ」のテーブルテニスをヒントにした「PONG」を11月に発売。商業的に成功した最初のゲーム。社名のアタリは囲碁用語の「アタリ」から由来。
アタリの「PONG」をコピーしたゲームをセガ(製品名:ポントロン)とタイトー(製品名:えれポン)が発売。これが日本初のコンピューターゲームとなります。
そのころ、アタリ社は世界初のレースゲーム「Space Race(スペース・レース)」世界初の迷路ゲーム「Gotcha(ガッチャ)」を発売。そして日本法人アタリジャパンを設立
有限会社中村製作所(ナムコ)がアタリジャパンを買収しアーケードゲームに進出。
タイトーが日本初のテレビゲーム式レースゲーム「スピードレース』を稼働。
マグナボックス社との技術提携によってエポック社『テレビテニス』発売。日本初の家庭用ゲーム機。
有限会社中村製作所が株式会社ナムコに社名変更。
この年に発売された家庭用ゲーム機
アタリ社「Atari 2600(ATARI VCS)」
トミー工業「TV FUN」
任天堂初「カラーテレビゲーム15(カラーテレビゲーム6)」。
バンダイ「TV JACK」
Appleが「Apple II」を発表。完成品として大量生産・大量販売された最初期の個人用コンピュータ。
東芝が「ビジコン」を発売、国産では初のマイコンを内蔵したカセット交換式テレビゲーム機。
タイトーが固定画面シューティングゲーム「スペースインベーダー」をアーケードで稼働。全国各地にインベーダーハウスやインベーダー喫茶が乱立するなど大きな社会現象となる。
任天堂がアーケード市場に参入。任天堂レジャーシステム名義で「コンピューターオセロゲーム」を発売。
世界初のカートリッジ交換型携帯型ゲーム機「マイクロビジョン」発売。
ゲーム機史上初のサードパーティーとしてゲームソフトを開発・販売したアクティビジョン社が設立。
ナムコがポスト・インベーダー(スペース・インべーダー)を目標に開発された「ギャラクシアン」をアーケードにて稼働。
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