1985年(昭和60年)のゲーム史。任天堂のアクションゲーム「スーパーマリオブラザーズ」発売が、この年一番の衝撃でしょう。そして、アメリカでもファミコン(NES)が発売された年でもあります。ゲーム以外では、国際科学技術博覧会(つくば’85)開催され、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開された年でもあります。
随時、修正・追記していきます。
発売月はわからず。正式名称は「ゲームポケットコンピュータ」。国産機として初のロムカセットを採用した携帯ゲーム機。モノクロ2階調の液相画面を搭載。
同社の「カセットビジョン」のハンディ版をコンセプトに開発され販売価格は12,000円。
携帯ゲーム機が本格的に普及する4年以上前(1989年にゲームボーイ発売)と考えると、出すのが早すぎた感があります。
2月15日、GAME&WATCH マルチスクリーン ブラックジャックを発売。これが日本国内最後のゲーム&ウオッチ作品となりました。海外では1991年に発売されたのが最後。
ファミコンの周辺機器となる機器を発表。発売は1986年1月21日。
世界で最も売れたアクションゲームの金字塔。従来のアクションゲームのフォーマットから脱却。後のゲームすべてに多大な影響を与えたと言ってもいいほどの作品。
キャッチコピーは「奇想天外。夢の大冒険ゲーム!」「地上に地下に海に空に謎のキャラクタ出現!」
日本で発売されたファミリーコンピュータをベースに筐体の変更や各国への対応を施したハード。カラーは灰色と赤でシンプルで落ち着いた外観。
アメリカで10月18日に発売。その翌年に、ヨーロッパやアジアなど販路を広め世界で約6000万台を販売(任天堂調べ)。
10月20日発売。販売価格は15,000円。「SC-3000」やツクダオリジナルの「オセロマルチビジョン」との互換性を維持しつつ発売されたハード。
海外では外装を変えた「Sega Master System」という名称で発売されました。
セガハード大百科
Wikipedia
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