1986年、ゲームは“記録されるもの”になりました。セーブ機能が家庭に届き、プレイヤーは“進める”“戻る”“考える”という体験を手に入れます。
同時に、“物語を追う”“世界を探索する”“スコアを競う”といった多様な遊び方が家庭に根づき始め、
アーケードでは“演出”と“世界観”が急速に進化し、ゲームは“その場限りの遊び”から“記憶に残る空間”へと変貌していきました。
アニメ化=ゲーム化って流れが本格的に主流に。前年からプロゲーマーの先駆けとなる高橋名人や毛利名人を代表とするゲーム名人の影響力がさらに強くなってくる年でもあります。スポーツでは、FIFAワールドカップメキシコ大会が開催。この大会の優勝はアルゼンチン。
この年、ゲームは“何をするか”ではなく、“何を残すか”を問い始めます。
1986年を、日付とともに振り返っていきましょう。
“セーブできる”という革命。
任天堂が発売したディスクシステムは、磁気ディスクによる大容量と書き換え可能な構造により、
“セーブ機能”と“安価なゲーム購入”を家庭に届けました。
ゲームは“やり直すもの”から“続けるもの”へと変わり、
『ゼルダの伝説』『スーパーマリオ2』『悪魔城ドラキュラ』などの名作がこの環境から生まれます。
当時のCMのキャッチコピーは
「カセットの時代からディスクカードの時代へ」
ディスクメディアの容量は896キロビット(112キロバイト)。
販売価格は15,000円。発売されたゲームは全199タイトル(他に非売品4タイトル)。
“世界を歩く”という感覚のはじまり。
ディスクシステムのローンチタイトルとして登場した『ゼルダの伝説』は、
広大なフィールドとダンジョン、アイテムによる探索の変化、
そして“セーブして進める”という構造を持ったアクションRPG。
“どこへ行くか”をプレイヤーが選ぶという自由が、ここから始まりました。
“物語を進める”という体験の原点。
堀井雄二・鳥山明・すぎやまこういちの三者が手を組んだ『ドラゴンクエスト』は、
コマンド選択式の戦闘、レベルアップ、町とダンジョンの往復、そして“勇者の物語”という構造を家庭に届けました。
“RPG”という言葉が一般に浸透し、“冒険をする”という体験が家庭用ゲームの中心に据えられた瞬間です。
“競う”という熱狂が家庭に届いた。
『スターソルジャー』は、縦スクロールSTGとしての完成度に加え、
“スコアアタック”という文化を家庭に持ち込んだ作品。
全国キャラバン大会の公式ソフトとしても使用され、
“高橋名人”の16連射とともに、ゲームが“競技”として語られる時代を切り拓きました。
“可愛さ”がゲームセンターを変えた。
『バブルボブル』は、泡で敵を包み、割って倒す固定画面アクション。
2人同時プレイ、100面構成、隠しエンディングなど、
“見た目の可愛さ”と“やり込み要素”が共存する構造が、
女性やカップル層をアーケードに呼び込むきっかけとなりました。
“和の世界観”がゲームに重みを与えた。
『源平討魔伝』は、平家と源氏の戦いを題材にしたアクションゲーム。
巨大な主人公、三種の視点切り替え、和風BGMと演出――
“日本的な世界観”を全面に押し出したこの作品は、
“ゲームに文化を持ち込む”という試みの先駆けとなりました。
“ホラーと演出”が家庭に届いた。
『悪魔城ドラキュラ』は、吸血鬼ドラキュラを倒すために城を進むアクションゲーム。
鞭による攻撃、ステージごとの演出、重厚なBGM――
“雰囲気そのものがゲーム性になる”という構造が、
家庭用ゲームに“演出の力”を持ち込んだ代表作です。
1986年は、“記録”と“探索”が家庭に届き、
“物語”と“競技”がゲームの新たな軸となり、
“演出”と“世界観”がアーケードを変えた年でした。
ゲームは、ただの反応ではなく、“記憶に残る体験”へと変わり始めていました。
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