1982年、ゲームは“世界を描く”という力を手に入れました。
アーケードでは『ゼビウス』が“語られない物語”を背景に敷き、
家庭では『ぴゅう太』や『M5』が“遊びと学び”の境界を揺らし始めます。
しかしその裏で、北米市場では“供給過多”と“品質低下”が進行し、
アタリを中心とした家庭用ゲーム産業に崩壊の兆しが見え始めていました。
この年、ゲームは“どこへ向かうのか”を問われ始めます。
創造と混沌が交差した1982年を、日付とともに振り返っていきましょう。
斜め視点がもたらした“空間の衝撃”。
セガが放った『ザクソン』は、アイソメトリック視点と高度の概念を導入したシューティングゲーム。
“飛び越える”という操作感が、ゲームに“奥行き”という新たな感覚をもたらしました。
地中で起こる、風船と地形の駆け引き。
ナムコの『ディグダグ』は、地中を掘り進み、敵を空気で破裂させるアクションゲーム。
“掘る”という行為そのものが戦術となり、アーケードに“地形を操る遊び”を持ち込みました。
等角投影が生んだ“斜めの世界”。
アメリカ発の『Qバート』は、斜め視点の立体ステージを舞台にしたアクションパズル。
操作と視覚のズレが生む混乱と快感が、ゲームに“空間の知覚”を持ち込みました。
“予選”がゲームにリアリティを持ち込んだ。
F1を題材にした『ポールポジション』は、実在サーキットの再現と予選タイムによるスタート位置決定を導入。
“レースを体験する”という感覚が、アーケードに“スポーツとしてのゲーム”を根付かせました。
“語られない物語”が背景に息づく。
『ゼビウス』は、空中と地上の敵を撃ち分ける2ボタン制を採用した縦スクロールSTG。
敵配置や背景に意味を持たせ、“世界観”という概念をゲームに定着させた先駆けです。
“遊ぶ”と“学ぶ”の境界線。
トミーが発売した『ぴゅう太』は、BASICプログラミングとゲームを両立した家庭用パソコン。
“遊びながら作る”という体験が、子どもたちに“創造する遊び”を提示しました。
360度、そして時代の向こう側へ。
『タイムパイロット』は、全方向移動と時間旅行をテーマにしたシューティング。
第一次世界大戦から未来兵器までを一気に駆け抜ける構成が、“時代を超える遊び”を実現しました。
“家庭に降りたパソコン”の試み。
ソード社開発・タカラ販売の『M5』は、ゲームと学習を両立する家庭用パソコン。
『ギャラクシアン』などの移植作も登場し、“家庭でアーケードを再現する”という夢を追いました。
言語を超えた、論理の輸出。
『倉庫番』は、押すことはできても引けない箱を動かすパズルゲーム。
視覚や物語に頼らず、論理と構造だけで世界に通じたこの作品は、“純粋な遊びの強度”を証明しました。
“5週間で作られた伝説”が崩壊の引き金に。
映画『E.T.』のゲーム化は、開発期間わずか5週間。
未完成のまま出荷されたこの作品は、返品の山と共に“アタリショック”の象徴となり、
北米家庭用ゲーム市場の信頼を大きく損なう結果となりました。
1982年は、ゲームが“空間”や“時間”を越え、“世界”を描き始めた年でした。
アーケードは表現の最前線を走り、家庭用は“次の標準”を模索し、
北米では“過剰と混乱”が崩壊の予兆を孕み始めていました。
創造と混沌が同居したこの年は、
ゲームが“文化”としての自覚を持ち始めた、臨界点だったのかもしれません。
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