1989年、昭和が終わり、平成が始まりました。改元の空気は静かで、どこか慎ましく、けれど確かに「何かが変わる」予感を含んでいました。バブル経済は絶頂を迎え、街には消費と情報があふれ、娯楽は“選ばれる”ものから“選びに行く”ものへと変わりつつありました。
そのなかで、ゲームは「テレビの前に座って遊ぶもの」から、「どこで、どう向き合うか」を問う存在へと変化を始めます。この年に登場したのは、携帯機、語りのRPG、演出のCD-ROM、そして“次の主語”を密かに準備する企業たちでした。
“どこでも遊べる”の真意。
任天堂が発売した携帯型ゲーム機『ゲームボーイ』は、ハードの歴史を塗り替えました。白黒画面、通信端子、乾電池駆動。スペックではなく「遊びの時間を奪う力」で勝負したこの機体は、“テレビを使わないゲーム”という新しい常識を社会に持ち込みます。
ローンチタイトルの『スーパーマリオランド』は、ファミコンのマリオとは異なる設計で、“携帯機での遊び”に最適化された構造を持っていました。そして『テトリス』。この一本が、「誰でも、どこでも、すぐに遊べる」ことの証明となり、ゲームボーイは“個人の時間を埋める道具”として、社会に定着していきます。
“次の時代”が水面下で動き出す。
この年、ソニーが任天堂と共同開発中だった“スーパーファミコン向けCD-ROM拡張機”に関して、ソニー単独での発売を目指すと発表。「プレイステーション」の商標が登場したのは、この文脈の中でした。
当初は任天堂のソフトが動くCD一体型互換機、という構想に過ぎなかったものが、後にゲーム業界の覇権を握るハードへと変貌していく。その端緒が1989年に確かに存在していたという事実は、「この年を過去としてだけでは見てはいけない」と強く語っています。
声と演出と主観が揃ったRPG。
CD-ROM²対応ソフトとして登場した『天外魔境ZIRIA』は、容量を演出に全振りした意欲作でした。声優によるセリフ、主題歌、迫力あるアニメーション。“CD-ROMだからできること”をとにかく見せつける構成で、家庭用RPGの「エンタメ化」を一気に推し進めた作品です。
ストーリーも徹底して娯楽志向。「古代日本」をテーマにしながら、ネーミングや展開は大胆に脚色され、アニメ文化との親和性も高かった。RPGに「見せる」「聴かせる」「巻き込ませる」という要素が、ようやく技術的にも商業的にも噛み合い始めた年だったといえます。
日常がRPGになった。
糸井重里が手がけたこのRPGは、「ファンタジーや中世風の物語こそが冒険」という前提をくつがえします。舞台は現代、武器はフライパンやバット、敵はカラスや変なおじさん。だがシステムは確かにRPG。
プレイヤーは知らない世界に「没入」するのではなく、知っている世界の中で「共感」しながら進んでいく。テキストの語り口、音楽の温度、名もなきキャラの“セリフの熱”が、プレイヤーの感情に寄り添う。ゲームはついに、物語を語る装置ではなく、「物語で語る」媒体になりはじめました。
“派手”と“知名度”の世界。
アーケードでは『ファイナルファイト』『ゴールデンアックス』など、グラフィックの演出力と既視感の少なさで押し切るタイトルが注目を集めました。一方で、それらは“新体験”よりも“短期的引力”を優先する傾向が強くなっていきます。
この時期、メーカーはすでに「IP(キャラクター)で人を引っ張る」発想を強めていました。『ドラゴンボールZ 強襲!サイヤ人』や『SDガンダム外伝』など、既存作品のゲーム化が家庭用にも波及し、ゲームは“遊び”であると同時に“コンテンツ”としての性格を強めていきます。
携帯機に“RPG”が入った日。
ゲームボーイ初の本格RPGとして登場した『魔界塔士Sa・Ga』は、スクウェアにとっても初のミリオンセラーとなる作品でした。“塔を登る”という構造、種族による成長の違い、そしてアジア的な世界観。
この作品の成功が、のちの『ポケットモンスター』の企画にも影響を与えたとされ、携帯機での“世界構築”という概念が、ここから本格的に始まっていきます。
1989年は、何かが始まった年ではありません。何かが“始まる準備を始めた”年です。
ポケットに入ったゲーム機、日常を語るRPG、声で語る演出、そして、まだ誰も知らない「プレイステーション」という言葉。すべてが、次の10年を動かすために、静かに配置されていました。
ほのぼの情報「ぽんぷー」(外部サイト)
1989年、ゲーム業界熱すぎ!ゲームボーイとメガドラの二大巨頭登場で、キッズの財布は常に空っぽ。FFIIはシステムが斬新だったけど、魔界村の鬼畜難易度はマジでトラウマ。テトリスはマジで時間泥棒だったわ。あと、プレステ発表とか、歴史の転換期じゃん!